おろしたてのスニーカーのようなカメラがかっこいいです

おはようございます。
カメラで本気出す。カメラに本気出す。
長徳カメラ塾です。

私のテーブルの上にはたくさんのカメラが置かれています。それらは全て金属製のカメラでフイルムのカメラです。別に理由は無いのですがデジタル式カメラと言うのはテーブルの上に並べて美しいと言うものではありません。その魅力の方向性がちょっと違うもののようですね。

まだフィルム式カメラしかこの世に存在しなかった時に私がカメラに対して持っている重要な価値基準と言うものがありました。

それを簡単に言ってしまうとその1台のカメラを持って世界の果てまで行く勇気があるかどうかと言うことなのです。フィルム式カメラを持って世界の果てまでに旅をする事は考えてみれば石のカメラを持った人0と言うことです。自分の体よりももっと大事な1台のカメラです。それは頑丈でなければいけないし同時に巡礼の旅を慰めてくれるものでなければなりません。

私にとって巡礼の旅のカメラを思い出すに最初に思い出すのは1980年にオーストリアのウィーンからパリを通過してポルトガルのリスボンまで旅行したことがあります。

ヨーロッパ人の通常の世界感覚から言えばこれは世界の果てから果てを旅したことになりますね。その街の薬局に行けばモノクロフィルムを手に入れることができました。考えてみれば今よりずっと便利な時代であったわけです。

持参したカメラは1台の戦前のライカつまりバルナックタイプでした。それでパリを撮影しリスボンを撮影したのです。その時の作品は私の写真集に収録されていますが今見ても活気ある心に残る作品です。

私にとってのバルナックライカカメラと言うのはそのような存在感なのです。なぜなら実はそれは私が信じているスナップショットの神様の本体でもあるからです。
、、ちょうどおろしたてのスニーカーのようなカメラがいいですね。

デジタルカメラが残念なのはいまだにそのようなデジタルカメラ神様に当たる信仰の対象になるデジタル式カメラが存在しないことです。
デジタル式カメラはしょっちゅう神様がとっかえひっかえ交代しているんですね。それが問題だと思っています。

ではまた明日のカメラ塾でお目にかかりましょう。

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